豊咲く
7月頃に観察した豊年エビを見る年は、豊作であると聞きました。
確かに今年は、3年ここでオーナーになって、経験したことが無いくらいの出来となりました。
Nさんの嬉しそうな顔を見れたのが、とても良かったです。
はさがけの長さも、去年よりも明らかに長い。
おかげさまで、私はへろへろです。

数日後に西日本を直撃しそうな台風13号が心配です
確かに今年は、3年ここでオーナーになって、経験したことが無いくらいの出来となりました。
Nさんの嬉しそうな顔を見れたのが、とても良かったです。
はさがけの長さも、去年よりも明らかに長い。
おかげさまで、私はへろへろです。

数日後に西日本を直撃しそうな台風13号が心配です
2008年09月14日 Posted by chihirot at 22:49 │Comments(0) │TrackBack(0) │湖(みずうみ)
剣と龍
出羽三山歴史博物館にて、南北朝時代の燈籠竿に、大峰山で見た石碑と同じイコンを見ました。


説明には、
---
重要文化財 燈籠竿 沙弥浄円家吉 作
南北朝時代 文和元年(1352)
もと羽黒山の中心・寂光寺(現 出羽三山神社)に立てられた燈籠の竿部分である。剣にからみつき剣先を呑み込もうとする龍は、倶利迦羅龍王と呼ばれ、普通は背後に火焔を負うことから、修験道場の本尊・不動明王の化身とされる。不動明王は剣と火焔により、修験者の煩悩を滅却するのである。
---
とあります。
幼少の頃より、修験の場を度々訪れ、今は、修験の山のたもとで暮らしていることから、わが身とご縁があると感じています。
来週、大峰山を登る予定です。


説明には、
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重要文化財 燈籠竿 沙弥浄円家吉 作
南北朝時代 文和元年(1352)
もと羽黒山の中心・寂光寺(現 出羽三山神社)に立てられた燈籠の竿部分である。剣にからみつき剣先を呑み込もうとする龍は、倶利迦羅龍王と呼ばれ、普通は背後に火焔を負うことから、修験道場の本尊・不動明王の化身とされる。不動明王は剣と火焔により、修験者の煩悩を滅却するのである。
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とあります。
幼少の頃より、修験の場を度々訪れ、今は、修験の山のたもとで暮らしていることから、わが身とご縁があると感じています。
来週、大峰山を登る予定です。
2008年09月13日 Posted by chihirot at 13:34 │Comments(0) │TrackBack(0) │旅(たび)
坂本バナナ
涼しくなった夕方、山んねきを歩きました。
道すがら、ソテツと思っていた木から大きなつぼみがニョキッと( ゚∀゚)を出していました。
途中には、バナナ予備軍が成長しています。

坂本も普通にバナナが育つくらい暖かくなってきたのですね。
道すがら、ソテツと思っていた木から大きなつぼみがニョキッと( ゚∀゚)を出していました。
途中には、バナナ予備軍が成長しています。

坂本も普通にバナナが育つくらい暖かくなってきたのですね。
2008年09月09日 Posted by chihirot at 18:47 │Comments(2) │TrackBack(0) │湖(みずうみ)
喜多方ラーメン
旅は、喜多方ラーメンから始まりました。

しょうゆ味に縮れ麺で、左手の薬味を入れて召し上がります。
20年ぶりに頂いたこの味。
私のラーメン基準の原点がここにあります。
麺はやっぱ、小池さんのように縮れていないとね

しょうゆ味に縮れ麺で、左手の薬味を入れて召し上がります。
20年ぶりに頂いたこの味。
私のラーメン基準の原点がここにあります。
麺はやっぱ、小池さんのように縮れていないとね
2008年09月07日 Posted by chihirot at 21:22 │Comments(4) │TrackBack(0) │旅(たび)
米 沢
むかし読んだ童門冬二の『上杉鷹山』が記憶に残っており、一度、行ってみたかった米沢に参りました。
家臣直江兼続を主人公とした来年の大河ドラマ『天地人』もあるので、道沿いをのぼりがあがっています。
上杉神社前には、見慣れたのぼりが・・・

上杉神社は、伊東忠太が設計されたようです。
米沢出身だったのですね。
堀を渡る石橋の欄干の自然石が、仙人のように見えます。
狛犬がモダンであったり、建築家の思想が伝わってきます。
家臣直江兼続を主人公とした来年の大河ドラマ『天地人』もあるので、道沿いをのぼりがあがっています。
上杉神社前には、見慣れたのぼりが・・・

上杉神社は、伊東忠太が設計されたようです。
米沢出身だったのですね。
堀を渡る石橋の欄干の自然石が、仙人のように見えます。
狛犬がモダンであったり、建築家の思想が伝わってきます。
2008年09月07日 Posted by chihirot at 01:16 │Comments(0) │TrackBack(0) │旅(たび)
蔵王山
蔵王へは高校の時に、2回ほどキャンプしたことがあります。
初めて行く場所では無いのだけれど、ほとんど記憶に残っておりません。
やっぱり団体行動はダメですね。
懐かしい思い出と言えば、嫌だったことや、事件とか、苦しいことの記憶の方が強いですね。
その中で、団体のなかで自由になれた貴重な時間の思い出が、私のタカラのように思っております。

この登山のあとの、絶景のように


苦しかった登山も、今回は楽をさせてもらいました
初めて行く場所では無いのだけれど、ほとんど記憶に残っておりません。
やっぱり団体行動はダメですね。
懐かしい思い出と言えば、嫌だったことや、事件とか、苦しいことの記憶の方が強いですね。
その中で、団体のなかで自由になれた貴重な時間の思い出が、私のタカラのように思っております。

この登山のあとの、絶景のように


苦しかった登山も、今回は楽をさせてもらいました
タグ :蔵王山
2008年09月06日 Posted by chihirot at 08:56 │Comments(0) │TrackBack(0) │旅(たび)
立石寺
旅の記録は、逆追いで進めています。
庄内平野の吹浦の宿に向かう前に、山形盆地の東側にある立石寺(りっしゃくじ)を訪れました。

1689年にここを訪れた松尾芭蕉は、ここで「閑さや巖にしみ入る蝉の声」を詠んだようです。
私たちも、ここ数日の晴間の残暑に、蝉の声のなか、長く続いている石段を上りましたが、大勢の拝観者の中なので、とても”閑さ”(しずかさ)は感じれませんでした。

奇岩の上に立つ望楼は、とてもアバンギャルドです。

木造の過剰なまでの装飾は、真新しさを感じさせます。
羽黒山の五重塔もさびているとはいえ、ディテールは同じような様相があります。
庄内平野の吹浦の宿に向かう前に、山形盆地の東側にある立石寺(りっしゃくじ)を訪れました。

1689年にここを訪れた松尾芭蕉は、ここで「閑さや巖にしみ入る蝉の声」を詠んだようです。
私たちも、ここ数日の晴間の残暑に、蝉の声のなか、長く続いている石段を上りましたが、大勢の拝観者の中なので、とても”閑さ”(しずかさ)は感じれませんでした。

奇岩の上に立つ望楼は、とてもアバンギャルドです。

木造の過剰なまでの装飾は、真新しさを感じさせます。
羽黒山の五重塔もさびているとはいえ、ディテールは同じような様相があります。
2008年09月05日 Posted by chihirot at 23:22 │Comments(0) │TrackBack(0) │旅(たび)
山居倉庫
その日中に、宿泊した吹浦から滋賀まで戻らないといけませんので、酒田市〜記念館〜羽黒山〜北陸道へと、慌ただしく移動しました。
水路沿いに古い倉庫群が立ち並ぶ観光施設がありました。

山居倉庫(さんきょそうこ)は、明治20年代に酒田米穀取引所の付属倉庫として設けられた建築群です。
現在は、現役の倉庫として利用されながら、一部を観光施設として活用されているようです。
以前に、みらいマップに引用した明治政府の陸地測量部が作成した2万分の1の国土地図も、同じ明治20年代のものであるので、酒田市域の当時の地図にも、この敷地が記録されているかもしれませんね。

運河から陸揚げされた庄内米が、この倉庫群に運搬されます。
当時からそのままの姿が今も残り、現役で利用されているのが、素晴らしいです。
立ち並ぶケヤキは、多分、築当時に植えられただろうから、樹齢は120年くらいでしょうか。


福田内閣が提言した『200年住宅』構想は、築30年程度で解体されていく現状の建築システムを打開する、私たちが待望しているものなのですが、この山居倉庫で築120年ですから、これから1世紀分の時間分の歴史に耐えなければならない構想でもあるのですね。
つくづく、軽々しく200年住宅と呼ぶには、反歴史的であるなと感じます。
水路沿いに古い倉庫群が立ち並ぶ観光施設がありました。

山居倉庫(さんきょそうこ)は、明治20年代に酒田米穀取引所の付属倉庫として設けられた建築群です。
現在は、現役の倉庫として利用されながら、一部を観光施設として活用されているようです。
以前に、みらいマップに引用した明治政府の陸地測量部が作成した2万分の1の国土地図も、同じ明治20年代のものであるので、酒田市域の当時の地図にも、この敷地が記録されているかもしれませんね。

運河から陸揚げされた庄内米が、この倉庫群に運搬されます。
当時からそのままの姿が今も残り、現役で利用されているのが、素晴らしいです。
立ち並ぶケヤキは、多分、築当時に植えられただろうから、樹齢は120年くらいでしょうか。


福田内閣が提言した『200年住宅』構想は、築30年程度で解体されていく現状の建築システムを打開する、私たちが待望しているものなのですが、この山居倉庫で築120年ですから、これから1世紀分の時間分の歴史に耐えなければならない構想でもあるのですね。
つくづく、軽々しく200年住宅と呼ぶには、反歴史的であるなと感じます。


