天河大弁財天社
大峰行きの前に、洞川入り口東側奥の天河大弁財天社へ、お参りしました。
天河神社は、修験道の役行者が大峰山を開山する前に修業を修めた場所、その後、高野山を開いた弘法大師が修行し、南朝に縁があり、弁財天はびわ湖の竹生島と同じく能に関する文化遺産が残っています。
能舞台のある社殿はまだ新しく、奥宮は弥山の山頂にあるようです。
一度、お参りに登ろうと思います。
天河神社は、修験道の役行者が大峰山を開山する前に修業を修めた場所、その後、高野山を開いた弘法大師が修行し、南朝に縁があり、弁財天はびわ湖の竹生島と同じく能に関する文化遺産が残っています。
能舞台のある社殿はまだ新しく、奥宮は弥山の山頂にあるようです。
一度、お参りに登ろうと思います。
2008年09月25日 Posted by chihirot at 10:43 │Comments(0) │TrackBack(0) │旅(たび)
大峰へ
毎年恒例になっている大峰山に登りました。
一人で登るときは、タイムアタック状態で、下山後はヘロヘロになります。
その後の温泉が格別の癒し効果があります。

この調子で、今年も乗り切ろうと思います
一人で登るときは、タイムアタック状態で、下山後はヘロヘロになります。
その後の温泉が格別の癒し効果があります。

この調子で、今年も乗り切ろうと思います
2008年09月24日 Posted by chihirot at 05:40 │Comments(0) │TrackBack(0) │旅(たび)
電気街
予定を変更して堀川通を北上しました。
右手は長い間空き地であったところに、京都ヨドバシカメラが建設中です。

このあたりの同業他社はテナント面積が少ないし、かえって梅田のヨドバシカメラとお客さんの奪い合いになるのではないでしょうか。いいんですよ、私はわざわざ梅田まで行って並ぶ必要が無いですし・・・
ここにApple Storeがはいるといいねぇ〜
右手は長い間空き地であったところに、京都ヨドバシカメラが建設中です。

このあたりの同業他社はテナント面積が少ないし、かえって梅田のヨドバシカメラとお客さんの奪い合いになるのではないでしょうか。いいんですよ、私はわざわざ梅田まで行って並ぶ必要が無いですし・・・

ここにApple Storeがはいるといいねぇ〜
2008年09月22日 Posted by chihirot at 21:46 │Comments(0) │TrackBack(0) │京(きょう)
携帯感
約2ヶ月前の発売日から iPhone を使い始めて、世間ではもう物珍しくなくなり(相手にされなくなり;)、マイ・ケータイとして普通に日常を送っています。
なので、あえてブログ上で綴るほどでものないのですが
iPhone のシステムが、 2.1 のアップグレードによって、ようやく安定して使えるようになってきたので、区切りとして私感を述べることにいたします。
他のケータイや、PDAのパームと比較して
・メールキーが押しにくいですが、運転中に操作しなくなったので 安全に○
・タッチパネルの精度が、イージーに割切るコンセプトにしては不自由さを感じる △(むかしのパームでできていたし)
・コピーアンドペーストは基本なのに、何故無いのだろうか ×
・カメラの位置が、前面にあるべきか背面にあるべきか悩む。Skype対応で前にあるのを望むが、映像を撮るときに液晶で確認できないしね △
・付着する手の油はどうしようもないですが、できるだけスッピンを使いたい △
・バッテリーの持ちは、今のところ仕方がないのかな △
・アンテナのことを考えると、DoCoMo から出てほしかったですが、巨漢たちにきめ細かいサービスを求めても無駄なのは乗り換えてみてわかりました。 △
・いろいろとアプリが多彩で、とても楽しい ○
・見知らぬ土地でも、親切すぎるカーナビよりも、地図と GPS があれば、特に問題無し ○
・内蔵カメラの能力アップはどうにもならないし、前の携帯から移植したいな
・アドレス帳の住所から、地図の場所に飛んでいけるのはとても便利です。旅行ルートを考える時に多用するようになりました。

・アプリが増えて一杯になったタッチパネルを、ページごとに整理できるのはとても便利。ページを切り替えやすいように下の行を空白にして、さらに9ページ分使えます。

・レンタルした映画や、録画予約したTV番組を、このソフトで iPhone 用に落として、視聴するのに便利。別売りのアダプターでよそのTVにつないで見れます。画質も十分です。
・アルバムに好きな画像を入れて、TVにつないで皆さんに見てもらうのも可能。仕事のプレゼンにも使いました。
とりあえず、
ぐぅ〜
¥¥¥これくらいでしょうか
なので、あえてブログ上で綴るほどでものないのですが

iPhone のシステムが、 2.1 のアップグレードによって、ようやく安定して使えるようになってきたので、区切りとして私感を述べることにいたします。
他のケータイや、PDAのパームと比較して
・メールキーが押しにくいですが、運転中に操作しなくなったので 安全に○
・タッチパネルの精度が、イージーに割切るコンセプトにしては不自由さを感じる △(むかしのパームでできていたし)
・コピーアンドペーストは基本なのに、何故無いのだろうか ×
・カメラの位置が、前面にあるべきか背面にあるべきか悩む。Skype対応で前にあるのを望むが、映像を撮るときに液晶で確認できないしね △
・付着する手の油はどうしようもないですが、できるだけスッピンを使いたい △
・バッテリーの持ちは、今のところ仕方がないのかな △
・アンテナのことを考えると、DoCoMo から出てほしかったですが、巨漢たちにきめ細かいサービスを求めても無駄なのは乗り換えてみてわかりました。 △
・いろいろとアプリが多彩で、とても楽しい ○
・見知らぬ土地でも、親切すぎるカーナビよりも、地図と GPS があれば、特に問題無し ○
・内蔵カメラの能力アップはどうにもならないし、前の携帯から移植したいな

・アドレス帳の住所から、地図の場所に飛んでいけるのはとても便利です。旅行ルートを考える時に多用するようになりました。

・アプリが増えて一杯になったタッチパネルを、ページごとに整理できるのはとても便利。ページを切り替えやすいように下の行を空白にして、さらに9ページ分使えます。

・レンタルした映画や、録画予約したTV番組を、このソフトで iPhone 用に落として、視聴するのに便利。別売りのアダプターでよそのTVにつないで見れます。画質も十分です。
・アルバムに好きな画像を入れて、TVにつないで皆さんに見てもらうのも可能。仕事のプレゼンにも使いました。
とりあえず、
ぐぅ〜
¥¥¥これくらいでしょうか
2008年09月20日 Posted by chihirot at 01:24 │Comments(0) │TrackBack(0) │夢(ゆめ)
丸太町
梨を頂いた帰りに、リュ・エルゴでお茶をいただきました。
鴨川の河川敷を歩くとき、ここの涼しい雰囲気が好きです。
駐車場が空いていたのでラッキー。
店の中は、席がダウンライト直下だったので、アタマが熱かったです
まだカフェが無い頃に、エルゴ・ビバームスには何回か食事を頂いておりましたが、最近は無いですね〜
鴨川の河川敷を歩くとき、ここの涼しい雰囲気が好きです。
駐車場が空いていたのでラッキー。
店の中は、席がダウンライト直下だったので、アタマが熱かったです

まだカフェが無い頃に、エルゴ・ビバームスには何回か食事を頂いておりましたが、最近は無いですね〜
2008年09月15日 Posted by chihirot at 17:46 │Comments(2) │TrackBack(0) │京(きょう)
豊咲く
7月頃に観察した豊年エビを見る年は、豊作であると聞きました。
確かに今年は、3年ここでオーナーになって、経験したことが無いくらいの出来となりました。
Nさんの嬉しそうな顔を見れたのが、とても良かったです。
はさがけの長さも、去年よりも明らかに長い。
おかげさまで、私はへろへろです。

数日後に西日本を直撃しそうな台風13号が心配です
確かに今年は、3年ここでオーナーになって、経験したことが無いくらいの出来となりました。
Nさんの嬉しそうな顔を見れたのが、とても良かったです。
はさがけの長さも、去年よりも明らかに長い。
おかげさまで、私はへろへろです。

数日後に西日本を直撃しそうな台風13号が心配です
2008年09月14日 Posted by chihirot at 22:49 │Comments(0) │TrackBack(0) │湖(みずうみ)
剣と龍
出羽三山歴史博物館にて、南北朝時代の燈籠竿に、大峰山で見た石碑と同じイコンを見ました。


説明には、
---
重要文化財 燈籠竿 沙弥浄円家吉 作
南北朝時代 文和元年(1352)
もと羽黒山の中心・寂光寺(現 出羽三山神社)に立てられた燈籠の竿部分である。剣にからみつき剣先を呑み込もうとする龍は、倶利迦羅龍王と呼ばれ、普通は背後に火焔を負うことから、修験道場の本尊・不動明王の化身とされる。不動明王は剣と火焔により、修験者の煩悩を滅却するのである。
---
とあります。
幼少の頃より、修験の場を度々訪れ、今は、修験の山のたもとで暮らしていることから、わが身とご縁があると感じています。
来週、大峰山を登る予定です。


説明には、
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重要文化財 燈籠竿 沙弥浄円家吉 作
南北朝時代 文和元年(1352)
もと羽黒山の中心・寂光寺(現 出羽三山神社)に立てられた燈籠の竿部分である。剣にからみつき剣先を呑み込もうとする龍は、倶利迦羅龍王と呼ばれ、普通は背後に火焔を負うことから、修験道場の本尊・不動明王の化身とされる。不動明王は剣と火焔により、修験者の煩悩を滅却するのである。
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とあります。
幼少の頃より、修験の場を度々訪れ、今は、修験の山のたもとで暮らしていることから、わが身とご縁があると感じています。
来週、大峰山を登る予定です。
2008年09月13日 Posted by chihirot at 13:34 │Comments(0) │TrackBack(0) │旅(たび)
坂本バナナ
涼しくなった夕方、山んねきを歩きました。
道すがら、ソテツと思っていた木から大きなつぼみがニョキッと( ゚∀゚)を出していました。
途中には、バナナ予備軍が成長しています。

坂本も普通にバナナが育つくらい暖かくなってきたのですね。
道すがら、ソテツと思っていた木から大きなつぼみがニョキッと( ゚∀゚)を出していました。
途中には、バナナ予備軍が成長しています。

坂本も普通にバナナが育つくらい暖かくなってきたのですね。
2008年09月09日 Posted by chihirot at 18:47 │Comments(2) │TrackBack(0) │湖(みずうみ)
喜多方ラーメン
旅は、喜多方ラーメンから始まりました。

しょうゆ味に縮れ麺で、左手の薬味を入れて召し上がります。
20年ぶりに頂いたこの味。
私のラーメン基準の原点がここにあります。
麺はやっぱ、小池さんのように縮れていないとね

しょうゆ味に縮れ麺で、左手の薬味を入れて召し上がります。
20年ぶりに頂いたこの味。
私のラーメン基準の原点がここにあります。
麺はやっぱ、小池さんのように縮れていないとね
2008年09月07日 Posted by chihirot at 21:22 │Comments(4) │TrackBack(0) │旅(たび)
米 沢
むかし読んだ童門冬二の『上杉鷹山』が記憶に残っており、一度、行ってみたかった米沢に参りました。
家臣直江兼続を主人公とした来年の大河ドラマ『天地人』もあるので、道沿いをのぼりがあがっています。
上杉神社前には、見慣れたのぼりが・・・

上杉神社は、伊東忠太が設計されたようです。
米沢出身だったのですね。
堀を渡る石橋の欄干の自然石が、仙人のように見えます。
狛犬がモダンであったり、建築家の思想が伝わってきます。
家臣直江兼続を主人公とした来年の大河ドラマ『天地人』もあるので、道沿いをのぼりがあがっています。
上杉神社前には、見慣れたのぼりが・・・

上杉神社は、伊東忠太が設計されたようです。
米沢出身だったのですね。
堀を渡る石橋の欄干の自然石が、仙人のように見えます。
狛犬がモダンであったり、建築家の思想が伝わってきます。
2008年09月07日 Posted by chihirot at 01:16 │Comments(0) │TrackBack(0) │旅(たび)
蔵王山
蔵王へは高校の時に、2回ほどキャンプしたことがあります。
初めて行く場所では無いのだけれど、ほとんど記憶に残っておりません。
やっぱり団体行動はダメですね。
懐かしい思い出と言えば、嫌だったことや、事件とか、苦しいことの記憶の方が強いですね。
その中で、団体のなかで自由になれた貴重な時間の思い出が、私のタカラのように思っております。

この登山のあとの、絶景のように


苦しかった登山も、今回は楽をさせてもらいました
初めて行く場所では無いのだけれど、ほとんど記憶に残っておりません。
やっぱり団体行動はダメですね。
懐かしい思い出と言えば、嫌だったことや、事件とか、苦しいことの記憶の方が強いですね。
その中で、団体のなかで自由になれた貴重な時間の思い出が、私のタカラのように思っております。

この登山のあとの、絶景のように


苦しかった登山も、今回は楽をさせてもらいました
タグ :蔵王山
2008年09月06日 Posted by chihirot at 08:56 │Comments(0) │TrackBack(0) │旅(たび)
立石寺
旅の記録は、逆追いで進めています。
庄内平野の吹浦の宿に向かう前に、山形盆地の東側にある立石寺(りっしゃくじ)を訪れました。

1689年にここを訪れた松尾芭蕉は、ここで「閑さや巖にしみ入る蝉の声」を詠んだようです。
私たちも、ここ数日の晴間の残暑に、蝉の声のなか、長く続いている石段を上りましたが、大勢の拝観者の中なので、とても”閑さ”(しずかさ)は感じれませんでした。

奇岩の上に立つ望楼は、とてもアバンギャルドです。

木造の過剰なまでの装飾は、真新しさを感じさせます。
羽黒山の五重塔もさびているとはいえ、ディテールは同じような様相があります。
庄内平野の吹浦の宿に向かう前に、山形盆地の東側にある立石寺(りっしゃくじ)を訪れました。

1689年にここを訪れた松尾芭蕉は、ここで「閑さや巖にしみ入る蝉の声」を詠んだようです。
私たちも、ここ数日の晴間の残暑に、蝉の声のなか、長く続いている石段を上りましたが、大勢の拝観者の中なので、とても”閑さ”(しずかさ)は感じれませんでした。

奇岩の上に立つ望楼は、とてもアバンギャルドです。

木造の過剰なまでの装飾は、真新しさを感じさせます。
羽黒山の五重塔もさびているとはいえ、ディテールは同じような様相があります。
2008年09月05日 Posted by chihirot at 23:22 │Comments(0) │TrackBack(0) │旅(たび)
山居倉庫
その日中に、宿泊した吹浦から滋賀まで戻らないといけませんので、酒田市〜記念館〜羽黒山〜北陸道へと、慌ただしく移動しました。
水路沿いに古い倉庫群が立ち並ぶ観光施設がありました。

山居倉庫(さんきょそうこ)は、明治20年代に酒田米穀取引所の付属倉庫として設けられた建築群です。
現在は、現役の倉庫として利用されながら、一部を観光施設として活用されているようです。
以前に、みらいマップに引用した明治政府の陸地測量部が作成した2万分の1の国土地図も、同じ明治20年代のものであるので、酒田市域の当時の地図にも、この敷地が記録されているかもしれませんね。

運河から陸揚げされた庄内米が、この倉庫群に運搬されます。
当時からそのままの姿が今も残り、現役で利用されているのが、素晴らしいです。
立ち並ぶケヤキは、多分、築当時に植えられただろうから、樹齢は120年くらいでしょうか。


福田内閣が提言した『200年住宅』構想は、築30年程度で解体されていく現状の建築システムを打開する、私たちが待望しているものなのですが、この山居倉庫で築120年ですから、これから1世紀分の時間分の歴史に耐えなければならない構想でもあるのですね。
つくづく、軽々しく200年住宅と呼ぶには、反歴史的であるなと感じます。
水路沿いに古い倉庫群が立ち並ぶ観光施設がありました。

山居倉庫(さんきょそうこ)は、明治20年代に酒田米穀取引所の付属倉庫として設けられた建築群です。
現在は、現役の倉庫として利用されながら、一部を観光施設として活用されているようです。
以前に、みらいマップに引用した明治政府の陸地測量部が作成した2万分の1の国土地図も、同じ明治20年代のものであるので、酒田市域の当時の地図にも、この敷地が記録されているかもしれませんね。

運河から陸揚げされた庄内米が、この倉庫群に運搬されます。
当時からそのままの姿が今も残り、現役で利用されているのが、素晴らしいです。
立ち並ぶケヤキは、多分、築当時に植えられただろうから、樹齢は120年くらいでしょうか。


福田内閣が提言した『200年住宅』構想は、築30年程度で解体されていく現状の建築システムを打開する、私たちが待望しているものなのですが、この山居倉庫で築120年ですから、これから1世紀分の時間分の歴史に耐えなければならない構想でもあるのですね。
つくづく、軽々しく200年住宅と呼ぶには、反歴史的であるなと感じます。
2008年09月05日 Posted by chihirot at 06:08 │Comments(0) │TrackBack(0) │旅(たび)
土門拳記念館
ワタシはシブい小学生で、序列にやかましいボーイスカウトを休む口実に、仲のいい友人たちと近鉄西大寺や飛鳥駅でレンタサイクルして、遺跡や寺社仏閣を見て廻りました。
電車や駅の広告で普通に見かける仏像のモノトーンの艶のある横顔を、少なからず脳裏に染み付いていました。
その写真が、写真家土門拳によるものであることを知るのは、未だだいぶ先のことでした。
東京の設計事務所で働き始めた頃(学生時代のアルバイト)、飲みに誘ってくれた先輩たちは、当時発表されて間もない土門拳記念館と、その設計を託された谷口吉生について、いろいろと会話していたのを想い出していました。

それから幾年が経ち、体内では伝説化された建築でしたが、この年にようやく訪問することができました。
土門拳の写真に感動し、緻密に設計された建物に、とても感動しました。



歴史に翻弄されながら生き残ってきた世代は、人間が自然と対峙する術を、心得ているように思います。
電車や駅の広告で普通に見かける仏像のモノトーンの艶のある横顔を、少なからず脳裏に染み付いていました。
その写真が、写真家土門拳によるものであることを知るのは、未だだいぶ先のことでした。
東京の設計事務所で働き始めた頃(学生時代のアルバイト)、飲みに誘ってくれた先輩たちは、当時発表されて間もない土門拳記念館と、その設計を託された谷口吉生について、いろいろと会話していたのを想い出していました。

それから幾年が経ち、体内では伝説化された建築でしたが、この年にようやく訪問することができました。
土門拳の写真に感動し、緻密に設計された建物に、とても感動しました。



歴史に翻弄されながら生き残ってきた世代は、人間が自然と対峙する術を、心得ているように思います。
2008年09月04日 Posted by chihirot at 21:07 │Comments(0) │TrackBack(0) │旅(たび)
奥の細道
建築家、イタリアの巨匠 カルロ・スカルパ(1906~1978) が、松尾芭蕉『奥の細道』の足跡を辿っている途上に落命したのは、日本のタマゴたちが先輩から飲み噺しによく聞くものですが、その旅程をいつか遡行してみたいと憧れをいだいておりました。
それを数分の一くらい実現する旅から、昨晩もどりました。

羽黒山参道
北の行場で信仰をあつめる出羽三山の羽黒山(大峰修行での吉野山にあたる)にお参りをしました。

羽黒山五重塔 〜杮(こけら)葺きの屋根
私の厄年対策でもあります
宿で内閣退陣のニュースが・・・あの経済対策で、相当多方面から突き上げがあったと思います。
この言いようの無い不安感が、既存の政党解体から国家の行政改革に繋がることを期待します。
それを数分の一くらい実現する旅から、昨晩もどりました。

羽黒山参道
北の行場で信仰をあつめる出羽三山の羽黒山(大峰修行での吉野山にあたる)にお参りをしました。

羽黒山五重塔 〜杮(こけら)葺きの屋根
私の厄年対策でもあります

宿で内閣退陣のニュースが・・・あの経済対策で、相当多方面から突き上げがあったと思います。
この言いようの無い不安感が、既存の政党解体から国家の行政改革に繋がることを期待します。


